動詞が「木」なら名詞は「木の実」

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1. 名詞は「可算名詞」と「不可算名詞」から始めよ

冠詞のaや、可算名詞、不可算名詞は、英語を勉強していて「一番わかる気がしない」パートだと思います。

この文法は日本語の話し手にとって縁遠いものです。

その名詞が「数えられる」とか「数えられない」などという区別は日本語だけでなく、少なくとも東アジアの言語には存在しません。

日本語では「パン1個」とか「チョーク1本」とか普通に言えるのに、英語ではパンやチョークは「数えられない」のだと習って「???」となった方もたくさんいらっしゃるでしょう。

どう考えても私たち日本語話者には理解できそうにないこの文法、実は英語を話すなら、そして書くなら、はじめの一歩として使えるようにならないといけない知識なのです。

使えなければ?もちろん意味の通じない英文が出来上がります。

英語で人を説得するどころではありません。

果たしてこの可算名詞・不可算名詞、私たちに理解できるのでしょうか…?

できます。

実は、これは「人類がおよそ5歳までに身につける認知能力」が元になってできている文法形式なのです

したがって、人類であり、5歳以上なら、誰でも理解できるようになっています。

一体どのような「認知能力」なのか…?

人類はモノを次の2種類の見方で認識していることがわかっています。

①「形」としてモノを認識する
②「性質・材質」としてモノを認識する

例えばあなたの目の前に机があったとします。

この机をチェーンソーでバラバラに切り刻んでください。

その破片を見て、あなたはそれを「机」と呼びますか?

呼びませんよね。

次に、目の前にあるスマートフォンをバラバラに分解したとします。

その部品の集合体を見て、あなたはそれを「スマートフォン」とは呼ばないはずです。

木でできた「板」をあなたが「板」だと認識するのは、それが薄く平らで、ある程度の面積を持っているからです。

同じ木でできていても、それが細長いものならあなたはそれを「棒」として認識するでしょう。

このように人間はモノを「形」で認識し、分類するという能力を持っています。

一方で、人間はモノを「性質・材質」として認識する能力も持っています。

例えば「氷」がそうです。

氷を砕いてみてください。

割れてバラバラになったその破片を見て、あなたはそれを「氷」と呼びますか?

当然氷と呼ぶはずです。

パンや、ピザ、ケーキを半分に切ってみてください。

半分に切ろうが4分の1に切ろうが、やはりそれらはパンであり、ピザであり、ケーキですね。

こうしたものを私たちは「形」としては認識せず、「そういう素材でできたもの」つまり「性質・材質」として認識し、分類していることがわかります。

このように、モノを「形」と「性質・材質」の2通りで認識する能力を、人間はおよそ5歳までに習得するそうです。

英語の世界での「1個」の正体

そろそろお気付きになってきたと思いますが、基本的に(あくまで基本的にですが)、「形」で認識するものが数えられる名詞、つまり可算名詞で、「性質・材料」として認識するものが数えられない名詞、つまり不可算名詞です。

そうすると、英語の世界での“one”、つまり「数えられる1個」の正体は、

それ以上崩してしまったら、それとは呼べなくなってしまう「形」のこと

と定義することができます。

この基準にあてはめると、「机」や「スマートフォン」はそれ以上崩したら机やスマートフォンとは呼べなくなってしまう、「形」で認識されるモノです。

こうしたものは「1つの机」「1つのスマートフォン」と数えることができるのです。

ところが、パンはいくら切ってもパンです。

ペンは折ってしまえばそれはもはやペンとは呼べませんが、チョークはいくら折ってもチョークです。

こうした、「それ以上崩したら、それとは呼べなくなる形」を持っていないものは、英語の世界で「1つ」と呼ぶために必要な「形」を持っていないことになります。

したがって、これらは数えられない名詞ということになるわけです。

私たちが日本語で「1つ」と言っているものの考え方と、英語の「1つ」は、考え方そのものが違うことがこれでわかります。

この「それ以上崩したら、それとは呼べなくなる形」が英語の世界の「1つ」だとわかると、あの厄介な冠詞「a」の正体が見えてくるのです。

それでは、この概念に冠詞のaがどのように関わってくるのかを次項で見ていきましょう。

2. 可算不可算がわかると、冠詞の「a」がわかる

前項で、「それ以上崩したら、それとは呼べなくなる形を持っているもの」を数えられる名詞、つまり可算名詞だと述べました。

つまり英語の世界で言う「1個」の正体は「形」です

この考えを起点に、冠詞の「a」とは何かを探っていきましょう。

a fishという言葉を考えてみましょう。

日本語に訳せばただ「1匹の魚」です。

しかし、aは「英語の世界での『1』」を表しています。

つまり、「それ以上崩せない形が1つある」ということを意味しています。

単なる「1」ではなく、「1つの形がそろっている」ということを意味しているのです。

だから、a fishは「頭から尻尾まで、丸ごとそろった、1匹の魚全体」を意味するわけです。

では、スーパーで売っている、「魚の切り身」はどう呼ぶのでしょう?

切り身が1つならa fishなのでしょうか?

そうはいきません。

「1つ」だから「a」なのではなく、「1つの形が丸ごとそろっている」から「a」なのです。

切り身は魚丸ごと1匹ではありません。

ですから、魚の切り身はa fishとはならず、(some) fishです。

では、この(some) fishは何を意味しているのでしょうか?

1匹丸ごとの魚をさばいて切り身にすると、「魚」が持つ形は崩れます。

そして、「魚という性質」だけを持った肉片になります。

魚の肉はいくら切っても魚の肉ですよね。

つまり、魚の切り身は不可算名詞です。

だからa fishのaが取れてしまっているのです。

aが取れてしまっている、というのは、「1つのまとまった形が崩れてなくなってしまっている」という意味でもあるのです。

「形ではなく、材質としてそれを見ている」という宣言でもあるのです。

some fishは「ある程度の『量(数ではないことに注意)』の魚の肉片」を意味しています。

可算名詞のリストはいらない

ここで気付いてほしいのですが、「Aという名詞は可算名詞で、Bという名詞は不可算名詞」というふうに「可算名詞のリスト」「不可算名詞のリスト」を挙げて暗記するというのは合理的ではありません

同じものであっても、人間の捉え方によって、可算名詞とも捉えられるし、不可算名詞とも捉えられるのです。

可算不可算は人間の認知能力を反映させた文法です。

モノに可算不可算の属性があるのではなく、その「モノ」をどう人間が認識しているのかが可算不可算を決めます。

別の言い方をすれば、「これは同じ形を持った仲間だ」と捉えているのか、「これは同じ材質を持った仲間だ」と捉えているのか、というふうに、「形の仲間」「材質の仲間」どちらに注目しているのか、ということです。

「形」と「材質」の話をもう少し続けます。

「石」は英語でstoneですね。

例えば「彼が私に石を投げてきた」という文の映像を思い浮かべるとき、あなたは飛んでくる「石」の丸ごと一個の輪郭が眼に浮かぶはずです。

これが「形」で石を捉えるということを意味し、

He threw a stone at me.

という英文が出来上がります。

一方で「この建物は石でできている」という文の映像を思い浮かべるとき、たとえ建物の輪郭は思い浮かべても、建築材料となっている石の輪郭は思い浮かべないはずです。

ちょうど、石に顔をぐっと近づけて見たときのように、石の表面のゴツゴツザラザラした感じを思い浮かべるでしょう。

それは石という「材質・素材」を思い浮かべているだけであって、ごろりとした一個の石の輪郭を浮かべているわけではありません。

これは不可算名詞、つまり材質として「石」を認識していることになります。

したがって、

This building is made of stone.

という英文が出来上がります。

名詞の扱いで話の意味が変わってしまうことも

「名詞の前にaがついていようがいまいが、意味は通じるでしょ?」という大雑把な気持ちで、英文を「読む」ことはできます。

しかし、話すときはどうでしょうか?

もしあなたが愛犬家で、自己紹介時にこう言ったらどうなるでしょう?

I like dog.

もうお気付きだと思いますが、a dogからaが消えてしまうと、「一匹の犬という形」が消えて、「犬という材質を持った肉の塊」が出てくるのです。

おそらく、普通の解釈としては、「ああ、この人、犬を食べる人なんだ。で、犬が好物なんだ」というふうになります。

あなたが愛犬家で、犬という種類の動物が好きな場合、

I like dogs.

というのが自然です。

なぜa dogではなく、dogsなのかは、後に詳しく説明します。

ここではdogと言ってしまうことがどういう意味を伝えてしまうのかを理解してくれるだけで十分です。

名詞だけなら元々「材質」。そこにaや複数形語尾がついて「形」が出てくる

このようにaという冠詞は単純に「1つの」という意味を表すのではなく、机やスマートフォンのように私たちが「材質」ではなく「形」として認識しているものが、1つのまとまった形を揃えた状態で存在していることを表しています。

その形が複写(コピー)されたような形で複数存在しているとき、複数形が使われるのです。

もう一度述べますと、aは「まとまった形が1つ存在している」、複数形は「まとまった、同じ形が複写されたように複数存在している」ことを表しているのです。

これが可算名詞の世界です。

逆に言えば、形ではなく材質として認識されているモノである不可算名詞は、1つのまとまった形があることを意味する冠詞のaはつきませんし、その形が複写されたように複数存在することを意味する複数形もつきません

water、breadのように、裸の名詞なわけです。

ちょっと突っ込んだ言い方をすると、名詞は何もつかずにそのままの状態では、dogが「犬の肉」を表すように、材質に注目する表現になります

そこにaがつくから形に注目することになるのです。

a dogなら1匹の犬の形が浮かぶわけです。

そして、dogsになると、形が複数あることを意味するようになるわけです。

3. 存在の名詞・概念の名詞その1

この項では名詞に「存在」を表す言い方と、「概念」を表す使い方の2種類があることを説明します。

この2つの考え方は英語の名詞を扱う上でものすごく重要なのですが、おそらくこれを体系的に教えている教育現場はほとんどないと言っていいでしょう。

でも、考え方自体は難しいものではありません。

例えば「肉(meat)」を例にとってみましょう。

・お父さんは肉が大好きです。
・お父さんがスーパーで肉を買ってきました。

上記の2つの「肉」、どちらが概念でどちらが存在なのか、おわかりですかね?

「肉が大好きです」と言うときの「肉」は、頭の中で「(野菜や米ではなく)肉とは何か」という知識を呼び出している状態です。

つまり、肉とは何なのか、という「概念」です。

一方で、「肉を買ってきました」というときの「肉」は「買って、持って帰って、そこにある」という感じがしますよね。

こちらの「肉」は「存在」を表しています。

日本語なら「存在」「概念」を区別して表す必要はありません。

しかし、英語や中国語など、この区別を文法的に表すことが義務になっている言語は結構存在します。

aのもう1つの役割

aは大まかに言って2つの役割があります。

前項で述べたように「1つのまとまった形が揃って存在している」という意味の他に、「抽選箱から適当に1つ取り出す」という意味があります。

例えば抽選箱にたくさんのおじいさんが入っているとして、そこから誰でもいいからランダムに1人、取り出したおじいさんがan old manです。

ここで注目するべき側面が2つあります

①ランダムにどれをとっても
②取り出してそこに存在する

①ランダム

例えば抽選箱に「day」というボールがたくさん入っているとします。

どれでもいいから1つそのボール取り出せばそれが「a day」です。

a dayは「話し手がランダムにとある1つの日を話題の中に取り出して、聞き手に見せる」という心理を表しています。

これを応用すると「1日に〇時間」とか、「1日に〇回」という言い方が成立します。

「どのdayを1つ、ランダムに取り出してもそこにan hourと記されている」というのが「an hour a day(1日に1時間)」です。

②取り出してそこに存在する

次に②を説明します。

これがめちゃくちゃ重要です。

誰もいない舞台を想像してください。

抽選箱から誰でもいいからおじいさんを1人取り出して舞台に上げます。

これがan old manなわけですが、ここで重要なのは「何もいなかったところに、何かを1つ、取り出して存在させてやる」という「存在」の意味がaにはあるのです。

物語で初めて登場した人物にはaをつけて、2回目からはtheをつけるという「初出のa」というルールを覚えている人もいるでしょう。

Once upon a time, there was an old man in a village. The old man was a farmer….
(昔、ある村に1人のおじいさんがいました。おじいさんは農夫でした…)

an old manとa villageは、何もない舞台に、とあるおじいさんと、とある村が取り出されてポンと出現するイメージを出します。

このように、aは「形で認識している名詞を、その形丸ごと、たくさん同じ種類のものが入っている抽選箱からランダムに1つ取り出して、存在させてやる」というイメージなのです。

これを応用した表現がfew(ほとんどない)と、a few(2、3ある)、あるいはlittle(ほとんどない)とa little(少しの量、存在する)です。

aがあることで、存在の意味を表しているのです。

・We still have a few days before leaving Japan.(日本を発つまでにまだ数日ある)
・We have few days before leaving Japan.(日本を発つまでにほとんど日がない)

・There remains a little milk in the bottle.(瓶にまだ少しミルクが残っている)
・There remains little milk in the bottle.(瓶にはミルクはほとんど残っていない)

someは「あってもなくてもいい言葉」ではない

someを使いこなせている人は、英語学習者の中でもかなり上級に属すると言えるでしょう。

「読むための英語」においてsomeは「あってもなくてもいい」言葉扱いを受けています。

私たちが中学で初めてsomeという言葉に出会うとき、「someは『いくつかの』という意味だけど、訳しても訳さなくてもいい」と言う習い方をします。

単語を日本語訳に対応させて「学習した」ことにする現在の英語教育では、なぜsomeを使うときと使わないときがあるのか、気にも留めません。

では、どういう気持ちで英語ネイティブが「someを使いたい」と思うのか、これがわからない限りはsomeをきちんと使いこなして英語を話したり書いたりすることは不可能です。

someは「存在して、そこにある」ということを表すための言葉です。

つまり、「概念」ではなく「存在」の意味で名詞を使うときには、someは使わないといけない言葉なのです。

まずは、「some」が「存在を表す」言葉であることの具体例を見てみましょう。

次項に続きます。

4. 存在の名詞・概念の名詞その2

柄杓で取り出す「some」

someが「存在」を意味する具体例を見てみましょう。

中学で「someは肯定文に使い、否定文と疑問文にはanyを使う」と習います。

この考え方は一部訂正する必要があります。

正確には、

someは「存在を肯定する」文に使い、「存在を疑問視する」文や、「存在を否定する」文にはanyを使う

となります。

someは「aの複数形」とも言うことができます。

aと同じように抽選箱から適当な数、もしくは適当な量、ランダムに取り出すということを意味します。

ということは、「取り出して、そこに存在させる」つまり「ほら、あるよ!」という感覚を出す言葉です。

したがってsomeは「存在を肯定する」文に使い、「存在を疑問視する」文や、「存在を否定する」文には使うことができないのです。

以下の文は形式的には否定文ですが、someを使っても間違いではありません。

Some students don’t respect their teachers.

この文が言いたいことは、「学生全体のうち、何人かの生徒、つまり、一部の生徒を取り出してみると、その人たちは先生に敬意を払っていないよ」ということです。

きちんと訳せば「中には教師に敬意を払わない生徒たちもいる」ということです。

つまり、「そういう生徒たちが存在しているよ」ということが言いたい文なので、someを使うことに何の問題もないわけです。

someは「柄杓」のイメージを持つ言葉です。

容器の中に柄杓を突っ込んで、ザクっと適当な量、もしくは数、何かを取り出して見せるという意味を持ちます。

形で認識する、数えられるものを1個、ランダムに取り出すのはaの役割でした。

一方、2個以上の数えられるものを適当な数、そして、材質で認識される数えられないものを適当な量、取り出すのがsomeです。

someは柄杓のイメージですから、ボールのような数えられるものもすくって取り出すことができますし、水のような数えられないものもすくって取り出せます。

だから可算不可算どちらの名詞にも使えます。

ここで話を「存在の名詞と概念の名詞」に戻しましょう。

前項にあった

・お父さんは肉が大好きです。…概念
・お父さんがスーパーで肉を買ってきました。…存在

この「存在」を表すとき、someは英文の中に義務的に使われるのです。

My dad bought some meat at the supermarket.

逆に、「概念」の部分にsomeを使うと何か不自然な感じがします。

My dad loves some meat.

「お父さんは肉が大好きです」と言いたければ、My dad loves meat.の方が自然です。

この文では「野菜や米や魚でなくて、肉だよ」という「肉という知識」が呼び起こされれば十分なのであって、「肉がいくらかの量、あるよ」ということを述べる必要がないからです。

しかし、「スーパーで肉を買って」きて、お父さんのそばに肉がポンとある感じを述べたければ、「取り出して、出てきた」感を出すsomeを使ってMy dad bought some meat.とするのです。

もちろん、someを使わずMy dad bought meat.としても間違いではありませんが、イメージが異なります。

someがつかないただのmeatの場合、「meatとは何ぞや」という、知識の話になります。

つまり、上記の文が表すのは「父が買ってきたのは、(野菜や米や魚ではなくて)肉だよ」ということになり、ここで聞き手は「肉という知識」を頭に呼び起されるのです。

この使い分けができるよう、私は生徒さんに「持ってるとか、あるという存在の話にはsomeをつけるけど、『AやBではなくCだよ』」という『種類の対立』の話になったら何もつけないよ」と話しています。

・喉が渇いて、水が欲しい。水に「あってほしい」と思っている。
⇒I need some water. …水の存在を想起
・紅茶か、コーヒーか、水か、と問われて。
⇒I need water. …種類の対立
・パン屋に行って、パンを少し買ってきた。
⇒I went to the bakery and bought some bread. …パンの存在を想起
・私は朝食には米ではなくパンを食べます。
⇒I eat bread for breakfast, not rice. …種類の対立

総称用法:「~と呼ばれるもの全般」

ここで「種類の対立」を通して「概念・知識を表す名詞」となっているのが、実は名詞で総称用法と呼ばれるものです。

形としては、可算名詞では何もつけずに複数形、不可算名詞では何もつけずに単数形です。

例えば愛犬家が「私は犬が好きです」というとき、I love a dog.と言ってしまうと、どんな犬かはよくわからないけれど、とりあえず何か1匹犬を取り出して見せた感じがします。

「私ね、ある犬が好きなんだ」という感じです。

それを聞いた人は、「へえ、どんな犬?」となるでしょう。

I love some dogs.と言うと、どんな犬かはわからないけれど、全体ではなく一部の犬たちが好きなのであって、犬と呼ばれるもの全部が好きというわけではない、という意味になってしまいます。

I love the dog(s).というと、今さっき話したその犬(たち)のことであって、他の犬ゃないよ、という意味になってしまいます。

aもsomeもtheも何らかの限定の働きをしているんですね。

「犬」という生き物全体を表したいなら何もつけないで、なおかつ世の中の全部の犬なので複数形にした、I love dogs.(私は犬が大好きです)が自然です。

何もつけない複数形(不可算名詞なら単数形)が一番単純で典型的な総称用法で、「犬とは何ぞや?」という「種類・カテゴリーの知識の話」つまり「概念の名詞」を表すときの形です。

例えば、「私は読書が好きです」と言いたいとき、

I like reading books.と言えば、「本」全般を読むのが好きなんだな、ということになりますが、

I like reading some books when I’m on the train.なら、列車の窓際に何冊か本を置いて、ゆったり読書を楽しんでいる感じがします。

本の存在感がリアルに出てきます。

日本語の話し手がライティングをするときに、名詞の運用で一番苦手なのが総称用法をうまく使いこなすことです。

someを使ってリアルに存在を感じさせる英文を作り出すことも苦手です。

英語らしい英語を使うための鍵になる知識と言えるでしょう。

5. anyとは何か

語源辞典によると、古英語(11世紀頃までの英語)では1を表す言葉はanでした。

これは形容詞・名詞・代名詞の役割を雑多にすべて持っていた言葉だったようです。

これが枝分かれし、名詞ではone、冠詞ではanとなっていきました。

さらに子音を語源に持つ単語の前でanのnという語尾が取れるという現象が定着したのは14世紀中頃だと言われています。

anからaが生まれたわけです。

anはまた別の言葉を生み出しました。

それはanyです。

つまり、anyはan・oneの感覚を内に秘めた言葉です。

具体的に言うとそれは、「抽選箱から、何かをランダムにつ取り出す」という感覚です。

He saw an old cat lying on the sofa.(彼は、年老いた猫がソファに寝そべっているのを目にした)
⇒具体的にはどんな猫かよくわからないが、とりあえず年老いた猫が1匹、ポツンとソファの上に現れる感じです。

My camera is broken. I’ll have to buy a new one.(カメラ、壊れちゃったから新しいの買わなきゃな)
⇒これをitにすると、「壊れちゃったカメラそのものを、金を出して買う」ということになってしまいます(もちろんnew itと言い方はないけれど)。oneにすることで、「同じ種類のものなら何でもいいから1つ」買うという意味が出てきます。つまりカメラがたくさん入った抽選箱から、ランダムに1つ取り出す感じです。

anyはこの「抽選箱からランダムに1つ取り出す」という感覚を色濃く持っています。

そのことを頭に入れていただいたうえで、anyの具体的な働きの説明をご覧ください。

anyには大きく分けて2つの働きがあります。

1つは「数・量のランダム性」と、「種類のランダム性」です。

前者は中学でsomeと共に習い、後者は高校で習います。

①数・量のランダム性

「数・量のランダム性」とは数で言うなら「1つでも2つでも、別にいくつでもいいんだけど」、量で言うなら、例えば「1リットルでも2リットルでも、別にどれくらいの量でもいいんだけど」ということです。

これは中学でsomeと共に習い、いわゆる「疑問文と否定文で使われる『any+複数形名詞(不可算名詞なら単数形)』」のパターンです。

このパターンはhaveやthere is/areなど、「存在を表す文」で使われます。

Do you have any pens?(ペン持っている?)
⇒数のランダム性を表します。別に1本だろうが2本だろうが、何本でもいいんだけど、という感じです。本数を特定して「ペン1本持ってる?」ならDo you have a pen?でもよいです。しかし、人間は「曖昧さ」が大好きなので、anyを使いたくなる心理がよく働きます。

上記の文では、「別に1本(単数)でも2本(複数)でも何本でもよい」ので、anyの後ろのpensが複数形になっています。

Is there any water in the bottle?(ボトルの中に水は残ってる?)
⇒量のランダム性を表します。どれくらいの量でも構わないが、水はボトルの中にあるか、ということを尋ねています。

②種類のランダム性

高校で習う、肯定文に使うanyです。

このanyは、「同じ種類のものならどれでもいいよ」ということを表しています。

ただし、「同じものならどれでもいいけど、全部じゃないよ、1つだよ」という感覚が潜んでいます。

やはり語源がanであるところが関係しています。

ですので、「any+単数形名詞」という形をとります。

Any seat will do.(どこの席でも構わないですよ)
⇒Any単数名詞 will do.で「どんな(名詞)でも構わない」。doは自動詞で使うと「機能する」という意味になるので、「それでいい、構わない」という意味が出ます。

She sings better than any student in this school.(彼女はこの学校の中で、どの生徒よりも歌が上手い)
⇒「どの生徒よりも」と日本語で言われると、つい頭の中に「複数の生徒」が浮かびますが、ここではanyによって「どの1人の(生徒と比べても)」という意味が生まれているので、studentは単数形になります。

「数・量のランダム性」のanyの疑問文と否定文での使われ方

「数・量のランダム性」のanyは、存在の肯定を意味するsomeを補完するように、存在を疑問視する疑問文と、存在を否定する否定文で使われます。

「存在を疑問視する疑問文」というのは、「あるのか?ないのか?」というふうに、「答えが決まっていない」ということを意味する文だと言えます。

決まっていないということは「別に何個でもいいんだけど」「どれくらいの量でもいいんだけど」という「ランダム性」と相性がいいわけです。

Do you have any money with you today?(今日は(少しでも)お金を持ってきてる?)
⇒10円でも100円でも、いくらでもいいから持っているか?ということです。

また、存在を否定する文に使われるanyは「ゼロ」ということを意味します

これは「1個だろうが、2個だろうが、何個であろうが、not」ということなので、「ゼロ」ということを意味することになるからです。

He doesn’t have any books with him today.(彼は今日、一冊も本を持ってきていない)
⇒1冊だろうが2冊だろうが、何冊だろうが、「持ってきていない」。

「ランダム」を意味するanyは、canと相性が良い

例えば、You can take any bus to get there.(どのバスに乗ってもそこに着きますよ)というのはごく自然な言い回しです。

canは「やろうと思えばできる」という「可能性」の話をする言葉です。

「可能性」とは「まだ決まっていないこと」ですから、ランダムを意味するanyとcanを一緒に使うのは自然なわけです。

一方で、実際に行った具体的な一回の行為を指して、I took any bus to get there yesterday morning.(昨日の朝、そこに行くためにどのバスにでも乗った)というのは不自然です。

ランダムというのは「決まっていない」ということです。

具体的に一回、実際に行ったことというのは「決定した」ということを意味するのでanyは使えないわけです。

何でもいいからとりあえず来たバスに乗ったなら、I took a bus to get there yesterday morning.となるでしょう。

aのもつ、「何でもいいから1つ(実際に)取り出す」感覚がここで出てくるわけです。

6. theの世界を理解する

旧情報のthe

theは、thatと共通の語源を持ち、元々は何かを「それ」と指す意味を持つ言葉でした。

そこからtheは「今言ったその」という、旧情報を意味する冠詞になりました。

There is a bar near my house, The bartender is a nice looking man and…
(自宅の近くにバーがある。そこのバーテンダーはいい男で…)
⇒一見、初登場であるはずのbartenderにtheがついているのは「今言ったbarに勤めている」という意味を持っているからです。ちなみにa barやa nice looking manのaは「何もなかった聞き手の頭の中の舞台に、ポンと一軒のbarや1人のnice looking manを出してやる」効果を持つ。

この「旧情報」(すでに知っている情報)という感覚が、the のいろいろな使い方を可能にしています。

例えばthe moon(月)、the sun(太陽)などのtheは「ああ、言わずとも知れた、いわゆるあの月、いわゆるあの太陽だよね」という感覚でしょう。

もし、theがつかずにa moonとすると、火星の月や木星の月など、他の惑星のとある1つの衛星を意味しますし、a sunとすると、宇宙にあるいろいろな恒星のうちの1つという意味になります。

毎度おなじみのthe

あとは、「いつも利用するその」という感覚でもtheはよく出てきます。

aの「どれでもいいから1つ」「何でもいいから1つ」という感覚とは対照的ですね。

例えば日本語で何気なく「今ちょうど、駅に行ってきたんだよ」と言うときでも、英語では

I’ve just been to the station.

というふうにstationにtheをつけます。

これは話し手と聞き手にとって、「駅と言えば、あそこの駅だよね」という了解があるからです。

もしI’ve just been to a station.と言えば、聞き手の頭の中に「何かよくわからないけど駅が1つ頭の中にポンと出てくる」ことになるので、聞き手は「へぇ、どこの駅?」と問いかけてくるかもしれません。

しかし一方で、こうした二人の了解がなくても慣用的にtheをつけることもよくあるようです。

I caught a bad cold and went to the doctor.(ひどい風邪をひいて、医者に行ったんだ)

上の文などは、話し手の心の中で「いつも行く医者は決まっている」という感覚を反映していることもあります。

しかし、単に慣用的にdoctorの前にはtheをつけることが多いようです。

他にもchurch、beach、mountains、supermarketなど、特に話し手と聞き手の間の了解なく、機械的にtheが付くことが普通である、という言葉があります。

あるイギリス人のブログによると、昔、人が暮らすコミュニティがもっと小さかったころ、村の中で教会といえばあそこしかない、海岸といえばあそこしかない、という考えがあり、それが慣用的な使用の起源になったのではないか、と述べています。

グループのthe

英語学習者がマスターしておくべきtheに「グループのthe」というのがあります。

これは、ひとまとまりのグループや1つのまとまったシステム・体系にtheをつける、というものです。

theというのは「他のではなく、それだよ」と指定する働きが基本です。

それを別の角度から見てみると、指定されたものを1つのグループとしてまとめる、という働きがあることがわかります。

ここからtheは「グループを一括りにする」という働きが出てきました。

典型的なのは「the+複数形名詞」です。

・the Beatles:4人のメンバーがそろって、ビートルズという1つのまとまったグループになる。昔のバンド名は「the+複数形」のパターンが多いです。
・the Simpsons:「シンプソン一家」。複数のメンバーが集まって、1つの家族というグループを作ります。
・the Alps、the Philippines:「アルプス山脈」「フィリピン(諸島)」。複数の山や島が集まって、1つのグループを作ります。
・the United States of America、the United Nations、the United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandなど:「アメリカ合衆国」「国際連合」「イギリス連合王国」など。複数の州や国家、王国が集まり、1つのグループを作ります。

複数名詞でなくても、1つのグループを意味するとき、theがつきます。

the music industry(音楽産業)などがそうです。

また、1つのまとまったシステムにもtheはつきます。

例えば「経済」というのは一見、個人がバラバラにお金を使ったり稼いだりしていても、全体的に見ればそれらが有機的につながり、1つのシステムを作っています。

ですから、漠然と「経済」と言うとき、英語では普通、the economyというふうにtheをつけます。

「環境」や「太陽系」などもそうで、みんな個別の要素がバラバラに集まるのではなく、有機的なつながりを持って集まり、1つのシステムを作っています。

それぞれthe environment、the solar systemというふうにtheがつきます。

「同一の属性を持った人の集まり」を「the+形容詞」で表すこともよくあります。

例えばthe rich(富裕層)、the poor(貧困層)、the young(若年層)などがそうです。

policeもそうで、「警察が現場に踏み込んだ」「犯人を確保したと警察は発表した」などという「組織としての警察」を表すときにthe policeと言いますが、これもグループのtheと考えることができます。

なぜインターネットは“the Internet”なのか?

インターネットは英語ではthe Internetと呼びます。

これも最初からこういうふうに表現として固定していたわけではなく、語頭のiが小文字であったり、theがついていなかったり、その表現が固定し、世間に広く受け入れられる以前にはいろいろな表記方法が混在していました。

現在、the Internetという表現で定まっているのですが、theがついているのは、それ自体が全体的にまとまった1つのシステムだからです。

個別のユーザー、様々なプロバイダが有機的につながり、全体で1つのシステムを作っています

そして、語頭が大文字のIになっているのは、インターネットというシステムがこの世に1つしかないからです。

固有名詞感覚なわけです。

7. others、another、the other

どれも文脈によっては「他の」「別の」と訳せてしまうothers、another、the other。

ライティングの添削をしていても、多くの英語学習者が使い分けを苦手としていることがわかります。

other:「2回目のsome」

othersは「2回目のsome」と理解するのが一番的確だと言えます。

Some students go to school by bus, while others go by train.(バスで学校に行く生徒もいれば、電車で行く生徒もいる)

たくさん学生が入った抽選箱を思い浮かべてください。

箱に手を突っ込んで、適当に何人か学生を取り出してみます。

これがsome studentsです。

さて、それではその学生たちは箱の外に捨ててください。

次にもう一度同じ箱に手を突っ込んで、また何人か適当に学生を取り出してみましょう。

これが「2回目のsome」、つまりother students(もしくはstudentsを省略して、others)です。

こういう感覚が上記の例文の中に隠れているのです。

「2回目のsome」なわけですから、可算名詞と一緒に使うときには必ず複数形で使います

some studentsとなるのと同様、other studentsです。

other studentという言い方はありえません。

また、othersはsomeと同様、「適当さ」を重要視する言葉です。

「適当にいくつか取り出す」感じです。

したがって、自分が話題にしている以外の人間を適当に何人か取り出して、漠然と「他人」「他の人たち」と言いたいときにもothers(other peopleでもよい)を使います。

We don’t care about what other people think.(私たちは他人がどう思っていようと気にしていない)

another:「おかわり」

anotherはan+otherです。

anは「抽選箱に入ったたくさんの同じ種類のものの中から、ランダムに1つ取り出す」ということでしたね。

これに「別」を意味するotherを加えて、「おかわり」という意味を出すのがanotherです。

例えば、抽選箱の中に、紅茶の入ったカップがたくさんあると想像してください。

そこからランダムに、紅茶のカップを1つ取り出すと、それがa cup of teaです。

さて、あなたはその紅茶を飲み干しました。

そこで、また抽選箱に手を入れて、さっきのa cup of teaとは「別(other)」に、また一杯(a/an)紅茶を取り出すわけです。

これがanother cup of teaです。

このようにanotherは「おかわり」のイメージがあります。

anotherでよく聞く説明は「anotherはan+otherだから、後ろにつく名詞は単数形だよ」というものです。

しかし、これは必ずしもそうというわけではありません。

・We waited for another two hours.(私たちはさらに2時間待った)
・Another 4 lives were claimed.(さらに4人の犠牲者が出た)

このようにanother+複数形はよく見られます。

これは「ルールの例外」なのでしょうか?そうではありません。

anotherが「おかわりをもう一回」という意味を持つことは揺るぎません。

ただ、その一回のおかわりの「お茶碗」の中に、何がどれくらい入っているか、という説明で複数形が使われているだけです。

1つ目の例文では「もうひと待ちした」という「おかわりを一回」という感覚は同じです。

ただ、そのひと待ちの「お茶碗」の中に入っている時間の量が2時間ということです。

2つ目の例文では「もう一回犠牲者が出た」という「おかわりを一回」の感覚は同じなのですが、その惨事の「お茶碗」の中に入っている犠牲者の数が4人ということです。

ここでanotherの慣用表現を見てみましょう。

To know is one thing, (and) to teach is another.(知っていると教えるのとでは話が違う)

A is one thing, (and) B is another.で、「AとBは似ているけど異なる」という意味で、「Aができるからといって、Bができるとは思うな」というニュアンスの表現です。

この「違う」という感覚が、anotherの「おかわり」の感覚がどこから出てくるのかというと、「おかわり」という言葉が持つ、「同じ種類だが、同一物ではない」というところからだと考えることができます。

一杯目のお茶と、おかわりしたお茶は、同じ種類のお茶ではあるけれど、同一物ではありません。

another 4 lives were claimed.の例文に至っては、最初の犠牲者たちと、次の4人の犠牲者は当然ながら別人なわけです。

こういうところから、「似ているように見えるが、別物だ」という表現が生まれたのではないかと考えられます。

the other:「2つのうちの残りの一方」、the others:「ふたグループのうちの残り全部」

othersと書くべきところをthe othersと書いてしまう人をよく見かけます。

伝わる意味は随分と違います。

theが何をしているのかを見ていきましょう。

There are two balls. One is white and the other is black.(2つボールがあります。1つ目は白で、もう1つは黒です)

日本語訳の「もう1つは」につられて「おかわりのイメージ」を浮かべてしまう人もいるかもしれませんが、ここのイメージは少し違うものです。

まず、There are two balls.で頭の中にボールが2つ浮かびます。

そのあと、One is white.というので、2つのうちの1つが白だとわかります。

ここで白いボールの役目は終了、頭の中から退場することになります。

2つあるボールのうちの1つが消えたわけですから、残りは1つしかありません。

つまり「そのボールしかない。他にはない」という感覚が生まれ、これがtheをつけさせる原因になるのです。

the otherには大事な前提があって、それは「2つあるうちの」です。

2つあるうちの1つが消えれば、残りは「それしかない」となり、「今述べたやつとは別(other)の、それしかない(the)残りの1つ」がthe otherということになるのです。

I have three brothers. One of them lives in Okinawa, and the others live in Yamaguchi.(私には3人兄弟がいる。1人は沖縄に住み、残りの二人は山口に住んでいる)

3つ以上を扱っている場合でも、それを2つのグループに分けているならthe othersの出番です。

残った一方のグループの中に存在するものが複数個あるなら、the othersとなるのです。

エッセイライティングで不注意にthe othersを使う人には、私は「これは単に『他人』という意味で使っていますか?それとも『残りの全員』という意味で使っていますか?」と尋ねます。

漠然と「他人」と言うならothers、「残り全員」ならthe othersになるわけです。

8. 部分否定と全部否定

部分否定:「すべてが~というわけではない」

「すべてが~というわけではない」とか「必ずしも~というわけではない」という否定の仕方を部分否定と呼びます。

どういうイメージを持つ言い方になるのかを見ていきましょう。

・This is not necessarily evil.(これは必ずしも邪悪だというわけではない)
・Life is not always easy.(人生はいつも楽とは限らない)
・Not all the people were against the plan.(そこにいた人全員がその計画に反対だったわけではない)

下線部に注目していただくとわかるとおり、「not+100%を意味する言葉」という形になることがわかります。

そして、意味の上では「全部とは言えず、例外が存在する」ということになります。

部分否定とは「例外もあるよ」ということを意味する表現なのです。

部分否定でのnotのイメージは「小さな穴をあける針」のイメージです。

notが袋に小さな穴をあけ、漏れを起こすという感じです。

次にnotの位置に注目しましょう。

語順上の重要なルールに、

否定語は、否定語より後の言葉を否定する

というのがあります。

例えばI don’t like dogs.「私は犬が嫌いだ」という表現なら、notが否定しているのはlike dogs(犬が好き)という部分であって、Iを否定しない、つまり「これは私の話じゃないよ」と言っているわけではないということです。

notの位置が副詞の前なのか後なのかで、意味が随分と変わります。

really not:「本当に、違う」
notであることは真実だ
not really:「それほどでもない」
本当に真実そうかと言われれば、それは違う

というわけで、「明確にこれは部分否定だ」ということを表してあげるなら、not always、not necessarilyなど、notは「100%を意味する言葉」の前に置いて、「100%を意味する言葉」を否定してあげたほうがよいです。

実際には、この語順は厳格に守られないこともあります。

All that glitters is not gold.(輝くものすべてが金というわけではない)
⇒notがallより後ろにきている。

しかし、私たちは「わかりやすい、伝わりやすい」明確な表現を心掛けるべきですから、「not+100%」という語順を心掛けた方がよいでしょう。

bothという言葉

部分否定を学習するときに、多くの学習者が素直に飲み込めないのが、bothの否定です。

not bothで、基本的には「両方とも~というわけではない」となるのですが、どうもこれがしっくりこない、というわけです。

”Did you buy both of them?” “No, not both.”
(「それ両方とも買ったの?」「いや、両方とも、というわけじゃないよ」)

学習者の中には「両方とも買っていない」と読んでしまう人もいます(実は英語ネイティブの中でもそういう解釈をしてしまう人もいて、ややこしいところです)。

しかし、基本的にはnot bothは部分否定だと認識しておくべきでしょう。

bothは「allの『2つ』版」を意味する言葉なのです。

つまり、「(2つしかないうちの)2つとも『全部』」という意味なのです。

not allが「全部が~というわけではない」、つまり「片方は~している」という意味になるのです。

では「2つとも~ではない」という全否定はどう言えばいいのかというと、not eitherを使います。

eitherは「どちらか」と訳されますが、もう少し詳しくイメージを述べると「2つあるうちの、どちらか片方に目を向ける」という意味の言葉です。

以下の3つの例文はどれも微妙に意味が異なるように見えますが、どれも共通のイメージから出てくる意味です。

①Take either one.((2つのうちの)どちらか取りなさい)
②Either one is OK.(2つのうちのどちらでも大丈夫ですよ)
③Either side of the street was full of people.(道のどちら側も人で溢れていた)

片方ずつに目を向けるeitherのイメージがわかれば、「どちらの側も」という、結果的にbothと同じになる意味も出せることがわかります。

さて、このeitherにnotをつけると「どちらの側に目を向けてもnot」という意味になり、「両方ともnot」という全否定の意味を出すことができます。

I don’t like either of them.(どちらも好きではありません)

「~もまたそうだ」と言うとき、肯定文には文末にtooをつけるのに、否定文の場合は文末にeitherをつけます

これも「どちらの一方を見てもnot」というnot eitherの感覚がなせる技です。

I don’t like broccoli and my brother doesn’t, either.(私はブロッコリーが好きではなく、私の兄もそうだ)
⇒「私」の方を見てもnot likeだし、「私の兄」の方に目を向けてもまた、notだ。

全否定:not at all

「全く~ない」という全否定を表す言葉にnot at allがあります。

notとallが組み合わされば、部分否定になるはずなのに、この表現は全否定を表します。

一体どういう仕組みなのでしょうか?

実は、atという言葉に鍵があります。

atは「動いている最中の一点を指す」というのが根っこの意味です。

動いていく中で、「今ここ」という感覚ですね。

そこから「目盛上を動く一点を指す」という意味でよく使われます。

具体的には角度、温度、速度、距離の点などですね。

Water freezes at zero degrees.(水は0度で凍る)

not at allのatは「このnotが表す『否定』が、どれくらいのレベルの否定なのか」を表します。

つまり、notの否定レベルを表す「0~100」のスケールがあって、not at allは「notの否定度がall(100%)のレベル」にあるという意味だと考えるとよいでしょう。

ですから「まったくnotですよ」という意味が出ると考えられます。

I’m not disappointed at all.(私はちっともがっかりなんかしていないよ)

9. 存在文1:there is構文の意味上の主語

there is構文を語順から考える

「~がある」という存在を意味するthere is/are構文は、変わった語順であるということと、意味上の主語にaやsomeがついた不定を表す名詞(つまりどれでもいいから1つとか、どれでもいいからいくらかということ)を持ってくることを特徴とする構文です。

実はこの構文は、新情報の存在を表す文です。

とは言っても、これだけでは何を言っているのかわからないので、新情報と旧情報の「語順」について少し考えてみましょう。

例えば、

昔、森の近くに、古いお屋敷がありました。

という文の後に、以下のどちらの文がくるのが、より自然だと感じられますか?

①そのお屋敷には、年老いた紳士が召使と一緒に住んでいました。
②年老いた紳士が、召使と一緒にそのお屋敷に住んでいました。

個人差や好みがあり、正解があるわけでもありませんが、①を選ぶ人が多数派であると思われます。

ポイントは「お屋敷」の位置です。

前文で、「古いお屋敷」はすでに紹介されて、知っている情報、つまり「旧情報」になっています。

一方で「年老いた紳士と召使」は①②それぞれで初めて出てくる情報、つまり「新情報」です。

脳の情報処理能力を考えてみると、旧情報はすでに知っている情報なので、処理が楽ですが、新情報は、初めて知る情報なので、処理に労力がかかります。

おそらく「すべての人類の言語で」といっても差し支えないと思うのですが、程度の差こそあれ、文の中で旧情報は先に話され、新情報は後に話される傾向があります。

「楽に処理できる情報が先」なのです。

ですから、①の「そのお屋敷には、…」の方が自然に感じられます。

日本語はいわゆる「てにをは」があるおかげで、それほど語順にこだわらなくても意味が通じるようになっている言語ですが、英語や中国語など、語順自体が意味の違いを生む言語ではこの辺りが厳格です。

英語の語順の基本ルールは、「軽い情報が先、重い情報は後」ですが、この中には、旧情報は先(情報処理が楽=軽い)、新情報は後(情報処理が楽ではない=重い)というルールも含まれます。

there is/are構文で、「意味上の主語」が後にくる理由

以下の2つの会話文を比べてみましょう。

特に返答の文に注目してください。

①「玄関先に何がいたの?」「玄関先に猫がいたよ(There was a cat on the front porch.)」
②「白黒の大きな猫、見かけなかった?」「その猫なら、玄関先にいたよ(The cat was on the front porch.)」

①は「玄関先に何がいるのか、わからない」文脈です。

「猫」は、返事の文で初めて明かされる、新情報です。

英文ではa catとなっていますが、これは「何もなかった頭の中の舞台に、新しく猫を1匹ポンと取り出してやる」というイメージを持ちます。

aのおかげで、初めて出てくるという感じがしますね。

一方、②では、「今あなたが言ったその猫なら」という言い方で、英文にthe catと示されていることでもわかるとおり、「猫」は旧情報です。

1つの文ではthere is/are構文が使われています。

この構文は「新情報の人や物が存在する」ことを表します。

意味上の主語であるa catはwasというbe動詞の後に回されています。

there is/are構文で、なぜこのような語順が発生するのかといえば、「a catは新情報だから、後で話そう」という気持ちがあるからです。

文頭thereは「『何かが、とある場所にいる』という話を今からするよ」という、サインを示すくらいの意味でしかないため、副詞の「そこに」という場所を意味するthereと比べて、ものすごく軽く短く発音されます

thereに続くbe動詞は「~という状態で存在する」が根っこの意味ですから、ここでは「存在する」という意味を出しています。

ちなみに、多くの英語学習者が勘違いしているのですが、thereに「いる」という意味があるのではありません。

be動詞がその意味を出しています。

②の文では、the catは「ああ、その猫ね」という感じの、すでに知っている旧情報です。ですから、情報処理が楽で、文頭に出して話しても問題ないわけです。

日本語でも、「玄関先に、その猫ならいたよ」よりは、「その猫なら、玄関先にいたよ」の方が自然で、楽な言い方だと言えます。

「~なら、…にいる」というのは旧情報の存在を紹介する構文だからですね。

aやsomeがついていない名詞でも、there is/are構文で使える

there is/areの構文は、新情報の物や人の存在を説明する構文だということがわかってきました。

この構文の意味上の主語にaやsomeがつくことが多いのは、「何もなかった頭の中の舞台に、新しく『1つ/いくつか』ポンと取り出しておいてやる。存在させてやる」という、「初登場の機能」とでも言うべき機能をaとsomeが持っているからです。

また、there is/are構文では、isの代わりに「存在」を意味する動詞もいろいろ使えます

There lived an old gentleman in the mansion.(そのお屋敷には年老いた紳士が住んでいた)
There remains some beer in the glass.(グラスにはまだいくらかビールが残っている)

there is/are構文の意味上の主語に関しては、一部で誤解を招く教え方が見られます。

それは「aやsomeなど不定、つまり『どれでもいいから1つ/いくらか』を表す冠詞がついた名詞しか意味上の主語にくることができない」というものです。

there is/are構文の意味上の主語にaやsomeがくるのは、aやsomeが「何もいなかった頭の中の舞台に新しく取り出し出現させてやる」という、新情報を導く性質を持っているからであって、実際には新情報でありさえすれば、代名詞、固有名詞、theのついた名詞も来ることができます

“We are done for today, aren’t we?” “No, there is still the issue of pricing.”
「今日はこれで終わりだよね?」「いや、まだ価格設定の問題が残っている」
⇒「ああ、あの問題なら」という旧情報とは違い、「そういえばあの問題がまだあったんだ…」と新しく情報が出現します。

“We can’t make it.” “No, there is still Tom. I’m sure he can.”
(「もう無理だよ」「いや、まだトムがいる。彼ならきっとできるよ」)
⇒これも「そういえば…」と新しく情報が出現します。

10. 存在文2:have言語の英語と、be言語の日本語

前項でお話ししたthere is/are構文ですが、日本語話者と英語で会話をしたり、彼らのライティングを添削すると、よく見られるのがthere is/are構文の「使いすぎ」です。

「~がある」という日本語の文が頭に浮かべば、何でもthere is/are構文を使おうとしてしまうのです。

でも実際には日本語の「ある」と英語の「ある」は、少し違うところがあるのです

言語学者たちはよく「英語はhave言語であり、日本語はbe言語である」と指摘します。

be動詞の根っこの意味は「~という状態で存在している」であり、There is a cup of tea on the table.(テーブルに一杯のお茶がある)とか、He is in Tokyo.(彼は東京にいる)のようにbe動詞で「いる・ある」を表すことができます。

日本語は存在を「いる・ある」という動詞で表現します。

ところが英語は存在をhave、つまり「持っている」で表そうとすることが多いのです。

I’m sorry. I have a party tomorrow.(ごめんね。明日は私、パーティーがあるの)
She has a younger brother and a younger sister.(彼女には弟が1人と、妹が1人いる)

there is/are構文は新情報の存在物を表す構文でした。

上記のhaveの例文もやはり新情報を表しています。

“Why don’t we go to karaoke tomorrow?” “I’m sorry. I have a party tomorrow.”
(「明日カラオケ行かない?」「ごめんね。明日は私、パーティーがあるの」)
“Does Kate have any siblings?” “She has a younger brother and a younger sister.”
(「ケイトって、兄弟(姉妹)いるの?」「彼女には弟1人と、妹1人いるよ」)

上記の文で、パーティーがあることも、弟と妹がいることも、返答で初めて知らされる事実ですから、新情報です。

しかし、ケイトに弟や妹がいることを、There are a younger brother and a younger sister.というのは明らかに不自然です。

一方で明日パーティーがあることを、There is a party tomorrow.というのは自然です。

いったい何がこういう感覚を引き起こしているのでしょうか?

S have~が表すのは「Sのテリトリーの中でのこと」

S have Oという構文は「SがOを持っている、抱えている」という意味を表します。

元々は「Sが物理的にOを手に持っている」という意味だったのが、拡張されて、物理的に手で持っていなくても、「SがOの所有権を持っている」となり、さらには「SがOという出来事や状況を抱えている」という意味にまで広がりました。

haveが表す「いる・ある」は、主語であるSの抱える出来事や状況をということを表します。

Kate has a younger brother and a younger sister.は、「ケイトに弟と妹がいる」ということを表すのであり、他の誰の抱える状況でもありません。

一方で、there is/are構文に目を向けてみると、これは特定の誰かが抱える状況ということを表す文ではないことがわかります。

・There were some toys in the box.(箱の中にはおもちゃが入っていた)
・There is a nice park near my school.(うちの学校の近くに、素敵な公園がある)

誰にとっても同じ状況が存在していることを表していることがわかります。

ここで先ほど出てきたI have a party tomorrow.という文と、There is a party tomorrow.という文を比べてみましょう。

I have a party.は「私」が抱える状況として、明日のパーティーを表しています。

日本語に訳すと「私、明日パーティーがあるんだ」となり、「私」の予定であって、他の人の予定じゃないよということを表しています。

There is a party tomorrow.だと、どんな響きになるでしょうか。

パーティーが明日開かれるのは客観的な事実であり、現実だ、という響きになります。

たとえここにいる誰にも関係ない話でも、パーティーがただ存在することは事実なわけです。

この話はhaveでもthere isでも、どちらでも表すことができるのですが、「誰かの抱える状況の話」と、「客観的にただ存在する」という違いがあることがわかります。

今度は、Kate has a younger brother and a younger sister.という文を見てみましょう。

これはKateの抱える状況の話であって、他の人の状況ではありません。

そして、これはthere is構文では表せません。

兄弟とか姉妹、父親とか母親という言葉は、「誰かの兄弟・姉妹・父母」を表す言葉であり、「客観的に誰にとっても兄弟」という存在ではないからです。

したがってthere areで上記の文を表すことはできません。

〇There is a boy in the room.(その部屋には、とある男の子が1人いる)
×There is a brother in the room.(その部屋には、とある弟が1人いる)

このように「誰かの抱える状況や出来事の話」はhaveが担当し、もし同じ内容をthere is/areで表せば、「客観的に存在する」話として捉えることになります。

以下の2つの文ではその差はかなり見えにくくなりますが、それでもニュアンスの違いは生きています。

There are four windows in this room.(この部屋には窓が4つある)
⇒客観的事実としての窓の存在
This room has four windows.(この部屋には窓が4つある)
⇒この部屋が抱えている状況

例えば、「この辺りには熊が結構いるんだ」という文をThere are a lot of bears around here.という言い方と、We have a lot of bears around here.という言い方で表すとそのニュアンスはどう違ってくるでしょうか。

there areを使う文では、ただ単純に熊が存在していることを表しますが、we haveを使うと、「ここは私たちの地元であり、そこに熊がたくさんいる」ということを表します。

「実際、私たちは熊を見かけるんだ」とか、「危ないから私たちは気を付けているんだ」といった、「ここに住んでいる自分たちと熊の関係性」までwe haveは語っているわけです。

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